言葉について。


病気を患った頃、知人の何気ない一言に傷ついたことが何度かありました。本人たちはきっと気付いていない。
当時の私はそれを跳ね返したり、消化することができるほど強くもなく、よく母に訴えては泣いていました。

魚の小骨のように喉元に引っかかり、刺さったままの言葉は、なかなか厄介なもので、
運良く喉元を過ぎたとしても、
次に魚を食べるのを、なんとなく躊躇してしまうように、誰かと話したり外に出ることが億劫になってしまいます…
傷つきたくないから、人と会わない。

いまだにその出来事を(9年も経っているのに)忘れられずにいるのは、私が、まぁしつこい、根に持つタイプの人間であると同時に、それだけ言葉は使い方によって破壊力抜群の武器にもなりうるということだと思うのです。

いい意味で、自分はどうかな?しらずしらずのうちに誰かを傷つけていないかしら?と考える礎のようなものにもなった出来事でした。

今は誰でも自分の考えを発信することができます。自由です。
お互いの意見や個性を尊重し合う金子みすゞ精神も浸透してます。
『みんなちがって、みんないい』
だから、どんな発信も許容される・・・なんてことはなく、
だからこそなお、自分の言葉で誰かが傷ついていないか、立ち返って考えるくせをつける必要があるのだと思います。誤りや、誰かを傷つけたと気付いた時には真摯に受け止める素直さも忘れないようにしようと思ったのでした。


先月テレビ東京さんよりインタビューを受けたのですが、自分が発した言葉で本当に嫌なフレーズがありました。正直、あのフレーズ使って欲しくないなと思っていたのですが、しっかりと公共の電波に乗って届けられてしまいました。

(生かされてるなら…)

生かされるってなにーー?
何か大きな力に選別されてんの?
『生』をこんな陳腐な言葉でしか表現できなかった未熟でボキャブラリーの少ない自分に腹が立ちます。
きっと不快な表現に捉えた人もいるだろうなぁ。と思います。本当にごめんなさい。

私の真意は
母や医療の力で繋ぎ止めてもらった(生かしてもらっている命)だからこそ、自分で人生の舵取りをしているのに、座礁したら他人のせいにしていたような今までの生き方ではなく、
自分の意思と責任をきちんと腹に据えて生きていきたい。という想いでした…

(インタビュー受ける前にまとめておいたはずなのに…(ΦдΦ))

言葉は救いにもなるし武器にもなる。
だからこそ丁寧に扱うことを心がけようと改めて感じているところです。








Hug me

大切な人を抱きしめるように、自分も抱きしめよう Hug me【はぐみー】女性がん患者のコミュニティとして宮崎県で活動しています。

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